院長コラム
本日は、高松市歯科医師会法人化40周年記念シンポジウムに参加しました。
本日は、高松市歯科医師会法人化40周年記念として開催されたシンポジウム「子・孫の世代を健口から健幸へ」に参加しました。3人の著名な先生方が講師としてご登壇されました。お一人目は東京都健康長寿センター研究所の枝広あや子先生(歯科医師)で、「認知症発症をみすえた口腔管理のエッセンス」と題されたご講演をされました。講演の中で、認知症の方は嚥下機能が低下しているため、カステラを口にいれてもぐもぐし続けても、いつまでたっても口蓋にへばりついたままであることを示す透視カメラの動画が紹介されていたのは印象的でした。認知症になれば口腔機能としての摂食嚥下機能が障害されますが、逆に口腔機能を活発に使い続ければ、認知症を予防出来ることが示されたことになり、今後の歯科医師の社会に果たす役割が示唆されました。
お二人目は、糖尿病専門内科医の西田 亙(わたる)先生で、「歯科が誇る連続性こそが次世代を糖尿病から守る~我が事から我が子のこと、我が孫のこと~」と題した講演をされました。冒頭で、認知症の話題に触れ、久山町のリサーチに基づくデータから60歳以上の高齢者が生涯のうちに認知症になる確率は55%という驚愕の数字を紹介され、認知症はもはや我が国の国難である、というリサーチの報告者のコメントを紹介されていたのが印象的でした。この発症率を下げることに歯科医師は貢献できることを自分は知っているわけだから、もっともっと歯科医師の認知症予防における貢献力が社会に知れ渡るように頑張らなくちゃ、という意欲がめらめら湧き上がってきました。西田先生のメッセージのエッセンスはタイトル通りで、医科では病気の人を治すことしか考えていないが、歯科は病気の予備軍や、まだ健康な人が病気にならないように予防の知識を授けることが出来る素晴らしい職域であることを伝えられていました。西田先生のエネルギーの源泉は、社会の人々を病気にさせないように導く仕事の尊さに気付かれ、それを実践したいという大きな意欲のうちにあると思いました。
三人目のモンゴル健康科学大学客員教授をされている岡崎好秀先生(歯科医師)のお話しの中で印象的だったのは、食育とは何を食べるべきかという栄養素の話よりも、どのように食べるかというところに力点を置いた指導の方が意味がある、という点でした。そこで、思い当たるのは、自分の早食い。昼休みにメールチェックしながら、5分でお弁当を流し込むのは絶対あらためねば、とおもいました。血糖値も上がるし、唾液アミラーゼの分泌も不十分になるし、決して良くないですから。
以上、我々歯科医師の職域は、国民の健康に貢献できる、やりがいのある仕事で溢れていることを、あらためて感じて帰ってきました。
ウエルカム・ウエルカム(welcome・well咬む)~咬む力で人々を幸せに~ 110501
1. まえおき
いうまでもなく命は大切である。命がないと何もできないわけだから当り前である。たとえば、先日の昼食は佐賀県にある眺めの良い素敵なレストランで歯科医師会の先生方と佐賀牛ステーキを頂いたわけだが、本当においしかった。しばし幸福感に浸れたのも命があるからだ。
こんなに美味しいものを頂くと、また次の機会に家族や大切な友人とこの感動体験を共有したいと思うし、そのために明日からまた仕事を頑張らなくちゃ、とも思う。あるいは患者さんにもよく咬めるようにいい治療をしてさしあげて食事を楽しんでもらえるようになれば、患者さんも自分もともにハッピーになれるわけで、だからこそさらに歯科医としての技術を磨かなくちゃ、などと思う。こういった考えを巡らすことが出来るのも生きていればこそだが、さらに言えばこういったふうにいろいろ考えられ、行動の意欲が湧いてくるからこそ生きている意味があると言える。
このことはいいかえれば、単に生きているだけでは駄目で、喜んだり、悲しんだり、感動したり、人を好きになったり、共感したり、何かの目標を立てて頑張ったり、それが達成出来た際には生きていてよかった、などと感じることが「人間らしく」生きることなのだ。そうすることが出来てこそ生きる意味がある、ということになる。「人間らしく」生きるということは、いろいろなことを感じたり、思考したりすることが出来る脳が健全に機能することで可能となるのだから、生きていることが尊いということは、脳が健常であることが尊いということである。要するに脳が健全に働いてこそ生きていることが尊いのであって、脳が健全に働かなければ生きている意味が大きく損なわれてしまうのだ。だから、命が大切、ということは脳が大切、ということと同じである。したがって、脳の働き方や、その働きを良くすること、さらにはその健全な働きを長く守ることについてしっかり考えることはとても大切なことだと気づかされる。
というわけで、今回のテーマは脳である。
2. 前頭前野が「人間らしさ」のすべて
「人間らしく」生きるということは「脳を健全に働かせる」ということと同じと書いたが、正確に言うと脳の中でも大脳皮質の前頭葉という部分が創造や思考を行う部分だそうだから、人間らしく生きるとは「前頭葉がうまく働いている」ということなのだ。さらにいうと、前頭葉の中でも特に前方に位置する部分を前頭前野(または前頭連合野)というのだが、前頭前野の機能こそが「人間らしさ」の根源らしい。「人間らしさ」のすべてを形成しているのが前頭前野ということである。
ここで人間の生活における前頭前野の大切さについて、セロトニン研究の第一人者である有田秀穂氏の最近の著書「脳からストレスを消す技術」(サンマーク出版)の一部を紹介しておこう。有田秀穂氏によると、人間らしさをもたらす前頭前野には「共感」、「学習」、「仕事」の三つの働きがあり、それぞれ前頭前野の真ん中にある「共感脳」、上方の「学習脳」、外側の「仕事脳」がこれらの役割を分担しているという。「共感脳」とは相手の感情を推測する脳である。「学習脳」とはいろいろ努力する脳であり、「仕事脳」とは一瞬にしていろいろの情報を判断し、経験に照らし合わせて最善の行動を選択する脳である。
これらのどの領域の機能も人間として欠かせない心の働きだ。そして、それぞれの脳神経は異なる神経伝達物質を介して働いており、学習脳はドーパミン神経、仕事脳はノルアドレナリン神経、そして共感脳はセロトニン神経である。前記三つの神経の働きの現れが人の心であるが、人の心が悲しんだり、喜んだり、と移ろうのもこれらの三つの働きのバランスがその都度違っていることに他ならないという。
人間らしさの根源が前頭前野によってもたらされると書いたが、上記の前頭前野の三つの働きのうち、「共感」こそ人間が人間たる最重要な脳の働きであると著者はいう。 「共感脳」とは、相手の表情や仕草から相手が、今、喜んでいる、悲しんでいる、自分に好意を持っている、嫌っている、と判断する脳である。 この働きが無くなると人間は人とのコミュニケーションが全くできなくなり、社会生活が営めなくなる。 現代人に増えてきているプチうつも、ネット社会の出現でメールやツイッター、フェイスブックなどによる電子文字のみを介した交流を常態とすることから相手の感じている気持ちを思いはかる能力が低下して生身の人間対人間の交流を苦手とする様になった結果、バーチャルなコミュニケーション世界に閉じこもり人々の「共感脳」の働きが弱ってきているせいだ、と著者は言う。 というのは、人間のコミュニケーションは言語を介するものよりも、声や表情、態度など言語以外の手段を介するノンバーバルコミュニケ―ションの方がはるかに多いと言われているからだ。だから個性の感じられない電子文字のみを介したコミュニケーションでは共感脳が育たない。「共感脳」をうまく働かせることによりセロトニンの働きは高められるのだが、「共感脳」を働かすことがなければセロトニンの働きが低下してしまうのだ。うつはセロトニンの働きが低下している状態なのである。
このように前頭前野は人間にとってもっとも重要な脳領域なのだが、中でも「共感脳」が残り二つの「学習脳」と「仕事脳」の働きをコントロールする主導的な役割を果たしていることがわかっている。「共感脳」は前頭前野のコンダクターなのである。強いストレスが脳に加わると、ドーパミン神経やノルアドレナリン神経は過緊張に陥り、時に暴走することがある。たとえばドーパミン神経が過剰に興奮し続けると例えばアルコール依存症のようになにかの「依存症」という病気になるし、ノルアドレナリンの異常興奮が続けばうつ病を始め、パニック障害や、強迫神経症、対人恐怖症、等の様々な精神疾患を招いてしまうのだ。
ところが、セロトニン神経は暴走することがなく、しかも前二者が暴走しないようにコントロール出来るという。一定量のセロトニンが規則正しく出ることによって、ドーパミン神経やノルアドレナリン神経が過剰に興奮することを抑え、脳全体のバランスを整え、「平常心」を保つ役割をしているそうなのである。このようにセロトニン神経は前頭前野の他のドーパミン神経やノルアドレナリン神経の働きをコーディネイトしてストレスをうまくマネジメントしているのだ。
要するに、人間にとって最も大切な「前頭前野」は、セロトニン神経のコントロール下で上手く働けるのだ。「共感脳」を起源とする行動エネルギー、すなわち人のために役立とう、働こうという行動意欲が、「仕事脳」や「学習脳」のパワーをマックスまで引き出し、人間は頑張ることが出来るのである。前頭前野が健全に機能してこそ、人の悲しみや喜びを理解し、人のために頑張る喜びを知り、人を救う行為によって自らも救われることを悟りつつこの世に存在する喜びも感じることが出来る、というように人間が人間らしく、生き生きと生きられるわけである。
3. 咬むことで前頭前野を鍛えられることがわかってきた
また最近、歯科の研究領域からも咀嚼が前頭前野の機能を高めるという重要な事実が報告されている。神奈川歯科大学教授 「咀嚼と脳の研究所」所長 小野塚 實教授は、氏の著書「咬む力で脳を守る」(健康と良い友達社)のなかで、機能的磁気共鳴画像(fMRI)を用いて咀嚼運動が脳に及ぼす影響をリサーチした結果について述べている。同教授によれば、しっかり咬むことにより前頭前野が著明に活性化されるという。そして、残存歯数と認知症との関連性を指摘し、歯の数が少なくなるほど認知症になる率が高まることを指摘している。そして、よく咬み、前頭前野を活性化させることで認知症を予防できると述べている。また、咬むことにより、前頭前野だけでなく、海馬やその他のすべての連合野も活性化されることから、高齢者の記憶力の増強をはじめとする脳全体の活性が高められることを報告している。咬めるようになることで高齢者は元気になるのだ。
これらの情報は歯科医にとっては素晴らしい報告だ。われわれの仕事は単に悪い歯を治して物を咬み易くしているだけではない。咀嚼機能の改善を通じて脳機能を健康にする仕事に携わっているのだ。そう考えると、この仕事の意味は大きいし、やりがいを感じる。歯科医の仕事はただ歯をきれいに並べて見せるだけでは不十分だ。よく咬めるようにしないといけない。脳に刺激がしっかりと伝わるように、キチンと歯と歯が機能的に咬み合うようにしないといけないのだ。歯が無くならないように予防を重視してしっかりケアをし、歯周病になっている歯は、残せる可能性があればしっかり歯周病の治療をして残し、残せなければ抜歯して、義歯なり、インプラントでしっかりと咬み合わせを回復させて患者さんの脳の機能を守って行く。そういう価値ある仕事が歯科の仕事だ。
国民のすべてがよく咬めるようになって健康になれば世の中はものすごくよくなるだろう。たとえば、高齢者も現役で勤労生活を継続できるから生産人口の減少に歯止めをかけられる。したがって、BRICsの後塵を拝することなく、グローバルマーケットに日本企業は参戦し続けられるので外需が拡大し日本経済は上向く。また、医療費が国家財政を圧迫している現状を改善でき、財政が健全化する。給与収入を得られる高齢者も人生を謳歌するので良い消費者となり、元気な高齢者向けのサービスを展開する産業が活況を呈し内需も拡大する。企業活動に参加しない健康な高齢者は非営利活動法人の活動に参加するので、人と人との絆の感じられる暖かい社会が到来する。そこいら中にボランティアの高齢者が溢れかえる社会だ。高齢者が頑張ってくれるから社会にゆとりが生まれ、女性は企業に在籍しながら育児休暇を取れるので出生率が向上し、人口が増加し始める。国内消費の増加が好況をもたらし、企業は過剰な経費削減を強いられなくなり若年世代の雇用が増える。やがて若年者生産人口も必要量に達し、社会は各世代のバランスのとれた適正な生産人口構成比を取り戻す。 その時点で永年勤労生活者として頑張った高齢者は退職することも可能となり、蓄えた給与と年金で安心して非営利活動に専念できるようになる。企業活動ではなく、非営利活動を通じて社会に貢献する新たな人生を迎えるのである。そして社会はこのような非営利活動を今以上に必要とする時代が来るだろう。人と人との絆を深めるにはフェイス・トゥ・フェイスの接触が不可欠だが、自由な時間の多い健康な高齢者こそ最適任だ。社会のあらゆる分野の人対人の接触が求められる機会に参入し、彼らの長年培ってきた経験智を若年世代に伝承することは、高齢世代にも、若年世代にも、社会全体にも益するのである。決して隠居して何もしない、などという高齢者はいなくなるのだ。介護施設に入ることが高齢者の幸福ではない。すべての高齢者が健康でいられて、なんらかのかたちで社会の現場とかかわり続けられる社会、それが高齢者にとって生きがいのある幸福な社会だろう。
よく咬める国民が増えるとは、こういう素敵な社会が到来することだ。
“情報革命で人々を幸せに”と謳うソフトバンク社長 孫正義氏のいうように、情報革命で人々は確かに幸せになるだろう。しかし、ネット社会、コンピューターで制御された社会、すべての分野でロボットが台頭する社会においてはストレスマネジメントがより一層重要になることは間違いない。そのような社会で、リズム運動である咀嚼の機能を健全に保つことによって国民の脳の健康を守ることが出来るということはなんという光明であろう。そう思う時、歯科医療は本当に尊い価値ある仕事に思える。本当に我々にとってよく「咬める」ことは大歓迎なのだ。まさに“ウエルカム・ウエルカム”(welcome・well咬む)である。だから、この仕事に邁進しよう!歯科医として働く目的はたったひとつ。“咬む力で人々を幸せに”することなのだ。
2011年5月1日 連休最中の自宅にて
歯科界の新潮流 ~さあ、ワクワクする時代がやってくるぞ!~ 110103
1. 歯科は不況産業の代名詞?
リーマンショック以降、我が国の多くの業界は不況に喘いでいるが、歯科界もまた同様である。 その惨状については、一部の業界紙の報道によれば、 「歯科診療所は全国で6万8000件、コンビニエンスストアの店舗数より多いにもかかわらず、 患者数は増えず、保険医療費は伸びないことなどから経営環境の悪化は著しい。 5人に1人が年収200万円以下でワーキングプアと呼ばれる層に含まれ、東京都内では実に1日1件のペースで歯科医が廃業している」と、 相当にショッキングな内容となっている(『ZAITEN』2009年6月号)。 歯科医がワーキングプアかどうかは分からないが、かつて一般には開業歯科医の生活はリッチだというイメージがあっただけに、 厚生労働省により実施され2009年6月に公表された「医療経済実態調査」の結果にマスコミが過敏に反応したものと思わる。
はたして歯科は本当に、不況産業の代名詞なのだろうか? たしかに、日本歯科医師会も「歯科医院の経営努力は限界」とのコメントを出しているし、 世間の歯科医師に対する社会的イメージは下落傾向にあることは否めない。 少なくとも、この記事を読む若年層からは魅力のない業界として捉えられ、「歯医者にならない方がいいな」と考えるだろう。 実際、2009年度大学入試では私立歯科大学・歯学部17校のうち6割が定員割れを起こした。 歯科技工士の置かれた状況は歯科医師以上に深刻である。 日本歯科技工士会の調査によれば、20代の歯科技工士の8割が歯科技工士の職に就かず、2009年度の歯科技工学校の入学者は、 2008年度の充足率62%をも下回っていた。このような状況下で歯科技工士の高齢化が進んだ場合、高齢化社会の下で需要が高まる補綴、 とりわけ義歯の需要に応じきれない事態が危惧される。
こういった事態は将来の我が国の国民に極めて深刻な不利益をもたらしかねない。 新しい人材が流入してこない業界が生き残ることはあり得ないが、歯科界は本当にこのまま衰退してしまうのだろうか? 私は断じてそうならないと思う。 歯科医療の健康にもたらす価値の大きさを信じて頑張っている私としては、それでもなお歯科医療は魅力ある仕事で、 将来有望な業界であると声を大にして訴えたい。 そしてそれはカラ元気ではなく、歯科界が未来の成長産業である根拠を具体的に提示しなければならない。 そこで、今回のテーマは「歯科界の新潮流」と題して、歯科界の新しい潮流、特に明るい未来をもたらす可能性のある動きについて考えたい。
2. 歯科は成長産業に変化する!そのわけは-----
私は、歯科業界は近い将来、おおいに成長すると考えている。 その根拠は、「価値のあるものは絶対に滅びない」という信念だ。 これは職務に情熱を傾けている歯科医の共通の信条だろう。 しかし、個人的思い入れのレベルではなく、客観的事実として歯科産業が成長産業へと転換できる可能性を示唆する根拠はすでに十分あるのだ。
その根拠の一つ目として、最近の脳科学の進歩により、 咀嚼(そしゃく)が思っていた以上に脳機能に大きく影響していることがわかってきた事実を挙げたい。 具体的に言うと、「咬む力」が記憶力や認知力を向上させる有効な手段だと考えられることだ。 さらに「咬む力」は「脳を守る」だけでなく「ストレスを解消する」ことにもつながるらしいのだ。
神奈川歯科大学教授 神奈川歯科大学大学院歯学研究科長 小野塚 實教授のfMRIによる実験データを踏まえた脳研究の報告によると、 咬むことにより、口や顎などの領域からの情報が大脳の広範囲に入力され、 さらに大脳辺縁系(へんえんけい)の海馬(かいば)や扁桃体(へんとうたい)、 前頭前野(ぜんとうぜんや)に変化を及ぼすことが明らかとなっている。具体的に言うと、 高齢者の認知症は、海馬(かいば)や扁桃体(へんとうたい)、前頭前野(ぜんとうぜんや)など、 人間にとって最も重要な脳の高次神経回路の機能障害であることがわかってきている。そして、こういった重要な回路が 、咬むことによって活性化されるということが明らかになってきている。つまり、よく咬むと認知症が予防できる、ということだ。 このことは非常に重要で、健康の基本は精神活動の旺盛さを維持することであるが、 咀嚼がその一翼を担っている事実が国民の意識レベルに広く浸透すれば、歯科の受診率は今以上に向上することは間違いない。
咀嚼機能を損なう原因として、従来から虫歯と歯周病が歯科の二大疾患としてクローズアップされてきた。 しかし、上記の二大疾患の制圧が依然として極めて重要な課題であることは間違いないが、 それが従来から長い間歯科界のスローガンとして使われてきたためにいささか色あせて見える感も否めない。 今後は国民の関心をひく新たな歯科的関心、例えば咬み合わせの異常がもたらす健康障害なども盛り込み、 細菌との闘いだけではなく歯の咬み合わせのあり様や咬むことそのものの価値の高さを強くアピールする、 などの新キャンペーンが必要ではないだろうか。
二つ目の根拠として、日本経済の復興に歯科が貢献できることである。 本年10月の内閣府発表によれば日本経済は大企業を主体に復調の兆しを見せ始めている。 日本経済は目下、2009年3月前後を底として、中国など新興国の景気回復を追い風に輸出産業が牽引する形で景気が回復基調にある。 GDP(国内総生産)はじめ鉱工業生産指数など各種景気指標を眺めても、直近の景気のピークである2007年度の水準の9割程度は回復している。 したがって、日本経済が回復基調にあるならば、基本的には歯科界も間もなく最悪期を脱し需要が戻って来ると思われる。
しかし、実際の話はそれほど単純ではない。 歯科医療経済を行政レベルで見るとまだまだ先行き暗いのだ。 政府の12月24の閣議で決定された予算案では、歳入の半分以上を国債44兆円の発行で宛てることになっており、 財源なき歳出拡大傾向が止まらない。この調子では歳出の多くを占める社会保障費のうち、 歯科医療費に回す財源が今以上に大幅に増えることはないだろう。従って歯科界の活性化に公的サービスが一翼を担ってくれることは期待薄だ。 だから歯科界の苦境の解消はあくまで歯科界自身の自助努力によらなければならないことになる。そして、それは可能だ。 公的財源に多く依存する限り、限られたパイを同業者が奪い合う構図から逃れられない。従って歯科のマーケットは自助努力で拡大する気構えが必要だ。
この点は民間企業の経営努力がおおいに参考になる。 たとえば、今、日本企業はその景気浮揚策の根幹をなす戦略として、 地球環境を守るためのグローバルな戦いに参画することで日本企業の価値を世界に示し、 他国企業をリードしようとしている。実際には原子力発電、太陽光発電、CO2封じ込め技術、省エネ車、排煙脱硫・脱硝技術等々、 で日本は最先端の技術を開発して来たが、東欧、中国、インドなどがこれを必要としているので正に好機到来である。
つまり自社の特性を自覚し、その能力を必要とされるマーケットに売り込みに行くのである。そしてこの営みは個々の企業が単独に交渉に当たるのではなく、ハードとソフトを両方含む形のいわば関連企業が企業連合を形成した形でジャパンクオリティーをマーケットにアピールしているのである。
歯科界は他業界のこの姿勢を参考にすべきである。歯科の強みは一番目の根拠でも示したように、一般の国民が考えている以上に健康に寄与する力が大きいことである。これまでのように虫歯や歯周病の撲滅だけをスローガンにしていたのではわれわれの活動対象が口の中だけに留まってしまう。われわれが提供しているサービスは全身の健康の維持増進を目指していることを強く国民にアピールすべきである。歯科的健康を維持することの有益性に関する情報を絶え間なく国民に提供していく努力が必要である。そしてこの情報を正確に社会に伝達する力は歯科医療関係者をおいて他にない。プロフェッショナルだからこそ価値ある情報を選択し提供できるのである。
こういったアクティビティーの持続は必ず「歯科の時代」の到来につながるのだ。それは、歯科的健康を維持増進することが企業の利益であり、国家利益となることをそれぞれの指導者層が気づくからである。たとえば、米ゼネラル・エレクトリック(GE)や東芝などの世界の電機大手は現在、ヘルスケア(医療・健康)事業を強化している。CTやMRIなどの先進国向けの先端医療機器や新興国向けの普及機を開発する構想を発表している。これは健康産業がグローバルビジネスとして有望であることを企業が見抜いているからであるが、このような大資本が直接に歯科のマーケットに参入して来ずとも構わない。「健康」がビジネスとして成長の核になるという認識を社会が共有することに意味がある。それは健康の価値が社会において最上級のものとして名実ともに定着することである。このことは社会にとっても個人にとっても喜ばしい。
また別の観点からも歯科が日本経済の復活に貢献できる可能性を述べる。2011年元旦の日本経済新聞の記事によれば、「1955年に8927万人だった人口は04年に1億2777万人まで増加したが、これをピークに人口は減少に向かう。国立社会保障・人工問題研究所の予測によると、46年には1億人を割り込み、55年には8993万人にまで減る。-----単に人数が減るだけではない。退職した高齢者の比率が高まり,現役世代は減る。---50年前、日本は一人の高齢者(65歳以上)を10人超の生産年齢人口(15~64歳)で支えていた。それが現在は3人で1人、55年にはほぼ1人で1人を支えなければならない。人口構成の変化は国民負担増しとなってはねかえる。高齢化が進めば年金、医療、介護などにかかる費用が膨らみ、財政支出で賄う分が増えていくからだ」とある。
このような高齢化社会に突入した日本が、グローバルマーケットで戦い、尚成長していく可能性はないのだろうか?私はあると思う。それは、高齢者は生産能力を失い介護の対象となることを前提としたこれまでのステレオタイプの概念を覆せばよい。高齢者といえども充分に働ける能力を保っている者は退役せず現役で生産の場に留まれる社会システムをつくればよいのだ。我が国が態勢を立て直し、リコンストラクションにより充分発展が持続可能な社会体制が再構築される日まで。
その要は国民の健康を維持増進することである。そして咀嚼力の維持が健康に直結することを社会が100%理解できたら、歯科医療費ならびに歯科関連産業に十分な額が投資されるようになるのである。
この気運の勃興に政府の新成長戦略の一つである「ライフイノベーション」が後押しをしてくれることを願う。現在政府は、医療・介護を柱とした新たな産業育成策を打ち出している。成長戦略「ライフイノベーション」が直接的に歯科医療界に活況を呼び起こさずとも健康を発達向上させる事業を大きな成長産業と捉える目を国民が共有することは大いに利益がある。明治の国策「富国強兵」がおおいに国民の気力と行動力を喚起したように、われわれは今、明治以来の第三の国家的危機として現在の閉塞状況を「国民を健康に保つことこそ国運を拓く」というスローガンでもって打破しなくてはならない。そして国民をすべてPPK(ピンピンコロリ)に導くことが国策とならねばならない。このような気運の立役者として歯科医療者は行動を起こさなければならないだろう。歯科の力は確実に国民を健康長寿につなげられることを歯科医自身が最もよく知っているのだから。
このように歯科界の中に医療経済における自助努力の目が芽生える時、歯科医療および歯科産業はおおいに成長出来ると思う。
三つ目の根拠として、歯科の目覚ましい技術革新を挙げよう。昨年の秋、私はグラスゴーで開催された世界4大歯科学会であるEAO学術学会(EAO: Europian Association for Osseointegratin )に参加してきたが,会場において近未来の歯科医療の到来を目の当たりにし、息が詰まる思いがした。二日目の午前のセッションでは、CT画像診断・治療プランニング・インプラント手術・補綴物作成までのすべてのプロセスのコアの部分をコンピューターがサポートする近未来のデジタルデンティストリーが紹介された。具体的には、歯科診療室から印象剤や石膏が無くなり、歯を削った後の印象は光学スキャナーで口腔のデータを取り込み、石膏模型を起こす代わりにCAD/CAMでインゴットの金属やジルコニアを削りだしてクラウンやブリッジを造形する。インプラント手術においては、術前のCT画像診断に基づいてコンピューターが適正なインプラント埋入位置をガイドし、オペ前にコンピューターデータに基いて作製された補綴物をインプラント埋入と同時に上部に装着し、そしてそれは正確に適合するのだ。
新時代の到来に心が躍った。このような魅力的なデンティストリーの技術面をサポートする存在は歯科医とパートナーシップを結ぶデンタルテクニシャンなのだ。このような近未来におけるデンティストリーの担い手は高度の専門知識を駆使するが故に、有能な人材を必要とする業種へと進化する。歯科医もデンタルテクニシャンもデンタルハイジニストも、口腔の健康に従事する職業は今以上のステータスを獲得するのである。国家の将来を支える基幹産業である医療業に従事するものは、宗教者や教育者、法曹関係者と同様に聖職者としてリスペクトされる日が必ず来る。当然、それに見合う実力を備えていることが前提であるが、このステータスが必要とする学識は従来の歯学カリキュラムにはなかった領域なので、そこにたどり着くには各人の必死の努力に負うことになるのだが。
このような状況は歯科医療職が正に選ばれた人材によって担当出来る時代が到来してのことであるが、その時代はもうそこまで来ようとしている。選ばれた人材とは国家と国民の行く末を案じ、自己の職業を通じて我が国の浮揚に貢献しようとする志ある者のことである。
この業界の未来は明るい。まもなく歯科によい時代が来る。然しそれは待っているだけでは来ない。われわれの価値を国民にアピールする必死の努力が必要だ。
2011年1月3日
振り返ればやつがいる 100830
1. 週末に昔のテレビドラマを見た。
リカバリー
1 ヒースローからオックスフォードへ
年頭所感 2010 知は日本を救う ~Intelligence creates our bright future~
1 “坂の上の雲”や“龍馬”がブームの理由
発 明