建築家と歯科医の類似性について 080113

私が歯科大学を卒業して27年が過ぎようとしている。歯科医歴27年といえば、それなりに経験によって培われた歯科治療の技術やスタイルが、その根幹からディテールに至るまで確立されていても良さそうなものだが、私の場合、幸か不幸か、それはない。技術のディテールは未だ模索中であり、日々更新中といえる。
 
ところで、これがきわめて面白い。もともと自分には研究することが性に合っており、ひとつのテーマでいろいろの文献を渉猟したり、某かの仮説を立てて実験し、結論を出す過程を好むところがある。臨床では実験は許されないが、いろいろと発表されている材料や術式の中で、最良のものはどれであるかなどということを文献的に比較検討するのは楽しい作業といえる。そして新しい技術を臨床に取り入れ、実践しているうちに、日々自分の技術が向上しているのがわかり、それが楽しい。
 
技術面のディテールにおいては、そのように模索中の日々であるが、一方、臨床家としての幹の部分というか、診療哲学のようなものは27年の経験で、なんとなく自分なりのものが出来上がってきているようにも思える。
 
今でこそ、患者中心主義に基づく医師の説明責任がことさらやかましく言われてきているが、自分の印象では、以前からも病院の医師達は患者に適宜、詳しく説明をしていたと思う。
 
病院勤務が長かったせいで、他科の医師の仕事ぶりを垣間みる機会も多かったが、黙って自分の治療を受けていればいい、などと言う横柄な医師はほとんど見かけたことがない(少なくとも自分が歯科医師になってからは)。
 
多くの医師は患者の話に耳を傾け、またよく説明をしていた。時間を切り売りするようなサラリーマンではなく、皆、患者の都合に合わせて、職務に忠実に自分の時間を割いて患者に治療の説明をしていた。大方の医師の人格は良質であったと思う。
 
そういう環境の中で育ってきたので、自分には、患者様と対話して診療を進めるのは至極当然という観念がある。だから、できるだけ、診療を進めるにあたって、適宜、患者様と対話するのが自分の基本的スタイルかもしれない。
 
ところで、対話が重要なことは、医療以外の業種においても同様であろう。
 
例えば建築家の仕事は、クライアントとの対話からすべてが始まる。自分は以前から建築に興味があったから、建築家はあこがれの職業であった。気持ちのよい日曜日の午前中には、建築雑誌をもって喫茶店に出かけ、コーヒーを飲みながらその雑誌を眺めるのが息抜きであった。
 
建築家は驚くほど多くの時間をクライアントとの対話に割くことを、歯科医院の建築にあたって実際に経験した。
 
まずは施主の希望や性格を把握するところからインタビューを始め、次に予定地や周囲環境を視察して建築イメージを練る。そして、幾多の面談を重ねて施主の予算やこと細かな要求を聴取し、それを実現可能なものに設計していく。時には施主と同調し、時には建築家の感性に反する要求に反感を感じながらも妥協しながら。あるいは説得しながら。
 
そして、おそらくは構造計算を始めとして、経費の計算、使用素材の選別など、気の遠くなるような現実的な思考の過程を経て、設計が煮詰まり、工事が開始する。
 
工事が開始しても、設計家の思い描いた通りに事が運ぶとは限らない。時には施主の心変わりや、経済状況の変化、施行技術上の困難、あるいは建築スタッフ間の人間関係にまで神経をつかって最良の仕上がりになるように精出して現場を回り、施行業者の管理に鋭意努力する。
 
最後には設計家の頭脳の中にしかなかった造形が、施主の感謝と共に現実世界の中に現れる。そして、自分は建築家ではないが、それは建築家にとってすばらしい感動を伴うことだろうと想像する。
 
歯科医の仕事も、建築家の仕事と類似しており、最初の出会いは患者様の希望を聞き出すところから始まる。
 
口腔内の診査をし、必要な資料を採取し、診断をする。その患者様にとって最良のゴールを歯科医なりに想定して、あれこれ治療計画案を練り、全顎的治療ともなれば何度も最終補綴の設計図を書き直す。
 
そして面談を繰り返し、費用の問題も考慮し、口腔の生物学的、力学的諸条件を考慮し、最終設計の図面を引く。治療計画書を作成して治療期間や費用の見積もりを提出し、患者様の同意をいただけたら治療開始。何度もラボと連絡を取り歯科医の意図が歯科技工士に伝わるように努力する。また診療室内では歯科衛生士との良好な協力関係に気配りする。
 
そして最終的な補綴物が出来上がり、使っていただいて患者様から感謝の言葉をいただけたとき、感動は極致に達し、歯科医になってよかったと思う。結構、建築家の仕事ぶりと類似しているのではないだろうか。
 
このように歯科医という職業と、自分のあこがれである建築家という職業とを重ね合わせ、その類似性に気づいて喜んだりしているのだが、特に歯科医として建築家から見習わなければならないな、と思える点がある。
 
それは建築家のスピリッツにおいてである。およそ建築家と呼ばれる人々には建築にかける某かの熱い思いがあるはずであろう。
 
建築を通して、自己を表現したい、あるいは社会に貢献したいといような(最近、黄泉の国に旅立たれた建築家  黒川紀章は、自分は日本を良くしたいという思いから建築家になった、とテレビのインタビューで言っておられた)。しかし、建築の宿命であろうが、施主があってこその建築であり、施主の要求を組み入れなければ仕事そのものが成立しないだろう。建築家の創造性や思考力だけでは造形にいたらない。そういう意味では、自己の才能だけで仕事が出来る訳でなく、使用出来る材料や費用、設計条件の範囲内での自己実現であるから、ストレスと常に背中合わせであり、その意味で建築は芸術作品にはなり得ないのかもしれない。
 
しかし、その制限の中で、自分の信条を裏切ることなく建築家としての満足も求め、施主の利益をも求め、同時に社会資産としての建築物(たとえ個人資産であっても、建築は地域の景観を決定するので、一種の文化的社会資産ではないでしょうか)を創造する職業に誇りと責任を感じているに違いないのである。
 
だから、信条を裏切るような仕事は絶対に請けられないはずであるし、たとえどのような仕事を請け負っても、常に自己の信念と現実条件とのギャップに悩むはずなのである。 しかし、一流と呼ばれる建築家は決して、自分に妥協しない。
 
そのような建築家の熱い魂の部分を、自分の好きな建築家 安藤忠雄著『連戦連敗』を読んで学んだ。
 
歯科医である自分は、この点を模範として身を正したい。
 
歯科医を志した時点で、歯科医業を通して社会貢献したいという情熱があった。
 
費用の面では患者様の希望内で見積もるのは当然だが、治療内容は専門領域ゆえ患者様には判断がつかない。だからこそ、目の前におられる患者様にとって最適、最前の治療法を選択しなければならない。
 
ところがこれが難しいのである。自分に出来る治療法、自分がやってみたい治療法が必ずしも患者様にとって至適な治療とは限らないのである。個別のケースに対応するには、いろいろな治療オプションを持たなければならない。
 
これは伝統的治療法から先端の治療法まで深く研究し、遭遇したケースに最適の医療を取捨選択できる眼力を養う必要があるということである。治療費の額などの目先の利益になぞ、ゆめゆめ惑わされてはならない。医院の経営も大切だが、個々の患者様にとって最適、最善の治療を提供したいという歯科医師の理念を現実の治療の上で実践することはさらに大切である。
 
勉強するべき歯科医学や隣接の医学の対象領域は広大であるが、患者様の利益のために切磋琢磨、切磋琢磨。この努力を持続することは浅学非才の身にはエネルギーを必要とするのであり、気力、体力ともに充実していないと出来ない。
 
しかし、ある一定のレベルを保ちたい、あるいはさらに向上して社会に少しでも役立つ自分でいたいと思うならば、この努力を惜しんではならない。
 
そういうことを一流の建築家のスピリッツの部分から学ばせて頂いた。
 
歯科医と建築家とを同一レベルで論じるなど、建築家からすれば迷惑千万と思われるかもしれませんが、自分は自己の信条や職責に忠実に生きておられる方々を尊敬していますので、その点に免じて、どうかご容赦のほどをお願い致します。
 
平成20年1月  某日曜の午後 自宅にて記す
中山康弘
 
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【連戦連敗】
 
著者:安藤  忠雄
発行所:東京大学出版会 
発行年:2001年 

 

著者によるあとがきが、本書のすべてを物語っています。涙が出るほどシビレます。
 
“—- 巨匠といわれるル・コルビュジエやルイス・カーンでさえも、決して人生の始まりから日の当たる道を歩んできたわけではなかった。若き建築家の意欲的な試 み、斬新な提案を、社会は容易に受け入れはしなかったからだ。こうした状況は、21世紀を迎えた今もそう変わってはいないのかもしれない。大抵の人間は、 この苦難のときを耐えきれずに終わってしまう。
しかし、ル・コルビュジエもカーンも、決して諦めなかった。妥協して生きるのではなく、闘って自らの思想を世に問うていく道を選んだ。与えられるのを待つ のではなく、自ら仕事を作りだしていこうとする、その勇気と行動力こそ、彼らが巨匠といわれる所以なのである。
私は私なりに、建築との闘いを続けている。これから社会に出て行こうとする学生達も覚悟しておいた方がよい。建築家とは厳しく、困難な生き方だ。自らの思 い通りにことが進むことなどほとんどない。日々、闘いである。だが、だからこそ建築は面白い。信念を持って、それを貫くために闘って生きていく─これほど “自分”を頼りに生きていくことの出来る職業はほかにないのだから。“
 
 
  昨年の夏、これを読んでから当分の間、自分は“闘う歯科医、闘う歯科医”と心の中でつぶやきながら、歯科医院の中を走り回っていました。
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【大峯千日回峰行─修験道の荒行】

著者:塩沼亮潤、板橋興宗
発行所:春秋社
発行年:2007年

想像を絶する破天荒な荒行、大峰回峰行。断食、断水、不眠、不臥。死の極限の死無行。五穀断ち、塩断ち、炎の八千枚大護摩供。貧困と不遇な家庭環境で育った若き青年層  塩沼亮潤氏は31才の若さで、この世でかつてただ一人しか満行したことのない過酷な千日回峰行に挑み、見事二人目の満業を果たし、大阿闍梨となる。超人的な荒行は凡人の想像を絶するが、大阿闍梨自身の口から、世のために役立つお坊さんになるために荒行をしたという、行を行った動機と満行後のおだやかな心境について語るのを聞くとき、率直に畏敬の念を覚える。自分の行は利他の行と阿闍梨は断じる。人間の魂はかくも昇華し得るものか、と思えるほど遥かな高みに立っておられる人格に感動する。生き方の参考としたい魂を揺さぶる良書。