年頭所感 2010   知は日本を救う  ~Intelligence creates our bright future~ 

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 1 “坂の上の雲”や“龍馬”がブームの理由

 “秋山真之、好古兄弟”や“坂本竜馬”がブームである。自分も、年末はNHKのスペシャルドラマ“坂の上の雲”( 全11回の放送予定のうちの5回分)と、年始は大河ドラマ“龍馬伝”をおおいに楽しんだ。前者は明治維新から日露戦争までの明治時代が、後者は幕末が舞台である。そして、両者とも日本の危機を救った英雄のドラマであり、エンタテインメントだから当然面白い。
 
でも、単純に楽しんでばかりではいけない。 なぜ、この今という時代に、NHKは時代の変革期に生きた英雄のドラマを制作したのだろう?その答えを考えることには意味がありそうだ。この辺りから今回は書き始めたい。
 
  NHKは国民の望む放送を提供する立場だから、当然のこととして、製作前に市場調査というか、国民が見たい番組の下調べは行ったことだろう。だとすれば、多くの国民が時代の危機を救ったヒーローの物語を見たがっていたということになる。それは、裏返せば、今の時代が閉塞しており、現状を打破する爽快感をせめてドラマで感じたい、救われたいという希望の表れであろう。そうなのだ。われわれは今、時代の閉塞感の中にいる。日本経済は不況であるし、多くの業界においてこの先V字回復が見込まれるような明るい材料に乏しい。加えて、政治においても、期待していた民主党政権の雲行きも怪しい。政治と経済の両方が低迷しているから、この先我が国は混迷から衰退に向かうのではないかという不安な気持ちに国民全体が陥っているのだ。こういった危機的な気分が“坂の上の雲”や“龍馬ブームの背景にあると考える。旧体制を打ち壊し、明治という新しい時代、当時の人々にとっては希望の持てた時代を切り開いたヒーローの再来を、そして希望の持てる時代の到来を現代人は熱望しているのである。
 
2 我が国の危機とは
 
  現在、我が国は明治以来の危機的状況にあると多くの知識人は言う。「危機」の大方の意味は、経済的な危機を指しているようだ。エコノミストの分析では、日本はまもなく世界第二位の経済大国の地位を滑り落ち、中国やロシア、インド、ブラジルなどの新興勢力の後塵を拝することになるらしい。したがって、多くの日本の大企業はマーケットを多くの人口を抱えるこれらの国へ移し、新興勢力に対抗する戦略を立てているようである。
たしかに、国内に目を向けるだけでも不況の出口が未だに見えず、経済的危機は実感できる。しかし、経済に好不況はつきものだから、不況はいつか脱し、そのうちには好況が来るものと思うが、なぜ現在の危機がかつてないほどに深刻で、いわば国家的危機なのだろう。
 それは、この危機への対応を間違えると、日本は未来永劫にわたって再び上昇することはなく、二度と再び世界の指導的立場には立てないとする読みがあるからなのだ。かつての大英帝国がその繁栄と栄光を失い、社会の活力そのものを失い、サッチャー首相の登場まで長く低迷を続けたように、我が国も今後は衰退の一途をたどり、国際的には二等国に甘んじなければならないとしたら、やはり国家存亡の危機といえる。
 
 ところで、幕末から明治にかけて、我が国の指導者は大変な危機意識を持っていた。当時の危機意識とは、日本が圧倒的に国力の差のある欧米列強の属国となることだった。ゆえに、明治政府は富国強兵策をとり、産業においても、軍事力においても、欧米列強に追いつこうとし、日本の独立性を保とうとした。また、精神面においても、福沢諭吉の独立自尊の思想が広く国民に浸透し、秋山兄弟のような国家の危機を救う逸材が多数輩出したのだ。その結果、日本は奇跡的に自主独立を保つことが出きたわけだから、われわれ現代人は明治の先覚者に感謝しなければならない。彼らが危機意識を持ってくれたからこそ、今日のわれわれがある。
 
  さて、現在の我が国の危機とは何だろう。今日では、明治初期のように他国が軍事力を背景に侵略してくるとは考えられない。そうではなく、今日の危機とは世界の中における日本の立場の喪失なのだ。
 第二次世界大戦が終わるまで、我が国は貧しかったのだが、戦後の高度経済成長により、我が国は初めて国際レベルで先進国の仲間入りをした。そして、経済力を背景に国際舞台で、日本は政治や産業、サイエンス、教育、スポーツ、文化交流など、さまざまな局面で我が国の考え方を主張し、その価値を世界に認めさせることがある程度できた。たとえば、かつて世界中でsonyのテレビが見られていたように、日本製品といえば高精度、高機能というイメージが普及した。ジャパン・テクノロジーは今でも信頼を勝ち得ているのだ。つい戦前までは日本製といえば粗悪品と思われていたにもかかわらず。あるいは、日本の禅文化が海外に紹介され、キリスト教以外の精神文化がキリスト教国において認められたのは、経済的繁栄と無縁ではない。もしも、戦後も一貫して日本が貧困で、世界レベルで通用する産業が何一つない東洋の小さな島国であったなら、仏教的価値観など先進国で認められなかったと思う。日本人は単なるエコノミックアニマルではなく、高い倫理観と周囲の人々と協調的に生活することを重視する独特の精神文化をもった高質の国であることを、日本は経済力によって国際舞台で認められたわけだ。
 
3 なぜ、日本は先進国の地位を保つべきなのか 
 
 その我が国の生命線である経済力が今後、長期的に衰退に向かうという。そして、一部の知識人は、かつての経済力は不要だという。物質的繁栄を追求しすぎた結果、日本はどうなったかというと、精神の荒廃を招いたという。確かに企業の不正は後を絶たず、政治家までも虚偽申告をする時代ではある。だからと言って、精神の豊かさだけを追求するのもちょっとどうかと思う。そもそも精神の豊かさとはどういうものだろう。嘘をつかないことだったり、約束を守ることだったり、困っている人を助けたり、何かについて勉強したり、絵画や音楽などの芸術やスポーツ、趣味を楽しんだり、そういったことが精神の豊かさだろうと思う。でも、そういった精神は、現実の個人レベルで考えると、生活が安定しないと保てないものじゃないかと思う。生活力があって初めて礼節をわきまえることが出来るし、人を助ける心の余裕も生まれるのだ。つまり、精神の豊かさは経済の安定があって初めて得られるものだ。したがって、精神の気高さや余裕があれば、経済的には小国でもよいという意見には反対である。世界の中で日本人の考え方や価値観を認めさせるには、経済的なバックボーンを持っていないと無理なのだ。そして、今、世界は日本人の考え方や価値観を必要としているのだ。あるいは間違いなく、近い将来、必要になるのだ。
 
4 テクノロジーこそが我が国の生命線
 
なぜかと言うと、たとえ、中国や、インド、ロシアやブラジルが台頭してこようとも、地球環境は間違いなく劣化していくからだ。われわれは種の存続をかけて良好な地球環境の保全を心がけなければならない。その際には国際的な協議によって実効性のあるルールをつくることが大切だが、我が国はその際にオピニオンリーダーとならなければならない。自国の利益優先でなく、地球規模で地球全体の利益を考えてものを考えられるのは、我が国をおいて他にはない。日本は貧困も繁栄も両方経験しているので、先進国に対しても、途上国に対しても両方の気持ちが理解できるのだ。加えて、他国と競合するのでなく協調的に対処できる日本人のマインドが、国際舞台で活躍できる可能性を保証する。軍隊を持たない日本が、世界各国が地球規模の危機に直面した時に救世主足りえるのだ。そして、その時に備えて発言権を持つために、国力を貯えないといけない。
間もなく地球は資源が枯渇し、また環境が悪化し、生物学的に生存が危ぶまれる状況が出現する。経済的にも産業資源が枯渇し、必要な物資が供給されなくなる。そういった場合には、自国優先の強国を諭すだけでなく、まっとうな国家としての手本を示すために地球環境の改善のための行動を起こさなければならない。宇宙に行くのだ。地球の資源が枯渇すれば、他の惑星に行って採ってくるしかないだろう。宇宙を移動するスペーステクノロジーが必要となるし、この新たな需要の出現によって新たな関連産業が発展するだろう。あるいは、地球上においても日本は地球環境の改善に寄与できる産業のトップランナーとなるのだ。この面においても、今後も我が国は世界の一流レベルを維持できる可能性がある。政策面で目先のことだけを考えて、サイエンスの発展に必要な投資を惜しみさえしなければ。テクノロジーこそが我が国の生命線なのだ。そして、先端的テクノロジーの開発を支えるのは知力なのである。我が国は世界レベルの頭脳を供給する、人材派遣会社のような国家とならなければならないのだ。
 そのためには有為の人材を育てる教育が国家的最優先課題だ。そして、経済的繁栄の価値をしっかりと認識出来る人材を育てなくては駄目だ。マイホームや車は必要ない、稼ぐ必要もないと考える多くの現在の日本の若者には我が国の将来を託せない。ニートやフリーターになるのがおちである。真のリーダーになるために、そして他者に良い影響力を及ぼせる人間になるためには、経済的繁栄が大切であることをしっかりと自覚した若者が日本に多く輩出してもらいたいものである。次世代の若者に期待したい。
 
5 まとめ
 
  つまり、日本が抱えている危機の本質とは、将来間違いなくやって来る地球の存亡の危機において、日本のアイデアを世界に納得させこれを実現させ得るか、あるいはアイデアはあるのに国力がないばかりに列強国の意見に従わされ、みすみす地球全体の衰退を指をくわえて見守り、他国と共に沈んでいくのか、の選択の岐路に立たされていることだろう。もちろん前者を選択して欲しい。これはある意味、自国の利益のみを考えていればよかった明治の危機よりもはるかにスケールアップされている。日本は、国家存亡の危機というより、地球存亡の危機において、何らかのアクションを起こして世界を救済できるか否かの瀬戸際に立っている。地球全体の平和と繁栄を考えながら行動できるところに、かつて繁栄を経験し、独自の道を歩んできた品格のある国家、わが日本の価値がある。われわれが生き残れるかどうかは、他者の利益のために行動できるか、どうかにかかっているのだ。
資源のない我が国は、知力をもって国運を切り開くしかない。そして、気骨ある明治の先覚者が、まっしぐらに富国強兵に突き進んで我が国を先進国の仲間入りさせたように、現代のわれわれもまた坂の上の雲をのみ見つめ、まっしぐらにテクノロジーに立脚した心正しい世界の指導国を目指さなければならないと思う。
 大きなことを書いたが、繁栄のための原理原則はわれわれの身の回りの歯科医療の世界でも同じだ。自院のみの繁栄を考えるのではなく、地域の歯科医療を、ひいては日本の歯科医療全体のレベルの底上げを願って頑張るような歯科医院こそが、混迷の21世紀を勝ち抜いていけるのだと思う。
 
100211  建国記念日 オフィスにて